障害を知ったきかっけ。そして、これからの夢
1. 大人の発達障害専門外来との出会い
・もともと 20 代から人間関係のつまずきを感じる事が多く、精神科へ通っていた。 ・2012 年 5 月1日~2013 年 3 月 31 日 受診したメンタルクリニックにて、会社の意見(自分で 考えて動くことができない、言われた事ができない等)を報告したところ、発達障害ではないかと 言われ、総合病院(精神科)の “大人の発達障害専門外来” を紹介された。
2. 発達障害外来での受診、そして母親同席 ・2013年4月 母親の同席を拒否していたので、
「不明点多いが、たぶん自閉症スペクトラムでは ないか?」 と主治医からはじめて言われた。
・確定診断が出るまでカウンセリングと発達障害ショートプログラムを受ける事になった。
・2016 年 5 月 母親の同席のもとに ADHD(注意欠陥多動性障害)と確定診断された。 ・不当な差別受けることを心配した主治医は、診断書には “ADHD の傾向” と書いてくれた。
3. 告知のきっかけ
・自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)は最近認知されている障害名だが、知能には問題ない。
・私の学歴は社会福祉専門学校卒業であり、試験勉強では介護福祉士やケアマネは一回で合格 している。
・たとえ障害者手帳 3 級をもっていても、福祉の仕事には遣り甲斐、喜び、誇りをもっていた。
・しかし、以前から “周辺状況” (昔は問題行動と言われていたが、今はマイナス発言として専門家は言わない方向になってきている。)
として自閉症の症状だけが目立つので、上司や同僚からは努力不足、甘えと指導を受けた。
また、よく性格に問題があると疑いを持たれていた。
・介護経験が21年目にしても、重大なミスが多すぎる。もはや入居者様の命を守れないという思いがあった。
いかなる理由があろうとも入居者様の命を守れないのは不味いと思った。
・他。前の会社(A 社)でも独り言が多く発達障害の疑いを持たれ、更には精神科からも確定診断が でたので、ここが限界と感じた。
・2016 年 5 月 独り言の多さで変だと指摘を受け、障害を隠す事への罪悪感もあり、今の会社 (B 社)の上司に告知した
4. 確定診断の診断書提出
・2016 年 6 月 会社の産業医面談があり、会社のサポートを受ける上で主治医の確定診断が必要とアドバイスをもらった。
・数日後、主治医より ADHD の確定診断書をもらい、会社へ提出した。
5. 今の仕事
・2016年9月15日 会社の障害者担当より、自治体から委託されているジョブコーチ〔注〕を紹介 された。
・ジョブコーチにより自分の困りごとが分かるようになり、更には会社と交渉してくれて大変心の支えになっている。
・その結果、会社のスタッフの皆様にも私の障害の特性について理解が広がり、風通しがよい環境になった。
6. 今後の夢 2017年1月17日ジョブコーチを卒業。
・横浜市から発達障害の理解がもっと得られるように次の 3 点を実現したい。
①障害者同士の交流と情報共有
②支援者の皆様とお互いに学べる共助の学習会の開催
③自分のホームページを多くの方に知ってもらう
以上いままでお話した事をまとめました。
追伸
このお話しはYouTubeにもアップしています。もしよろしければ、聞いてください。